1)概要
大阪に戻ってきて以来、熊野古道はいろいろ歩いてきた。
まず中辺路から海を目指し、JR那智駅まで。次に小辺路を辿って熊野本宮まで。
これまでは良かった。そして熊野古道のラスボスである奥駆道に去年10月にトライした。
その時は疲れ果てて大普賢の登りから下山。今回はそれに続く二回目のトライだ。
しかし残念ながら吉野~熊野本宮へ夢は果たせなかった。
今回の敗因は「天候不良」。
入山日からかなりの降雨。下山日だけ天気が良かった。
加えて、その翌日から、相当荒れる予報だった。それで途中敗退を決めた。
しかし自分の中にそれと闘う気力がなかったのが本当の原因かもしれない。
この大峰、それなりに標高は高いが、南北アルプスに比べたら低山である。10月でも雪は降らない。だから荷物は軽くして挑める。なのに敗退。
「もう、奥駆道を端から端まで歩く体力がないのかな」と、思わせた山行だった。
いや、そうは思いたくない。せめて次回は今回下山した弥山から南下してみたい。
2)日程
2024年10月18日(金)~21日(月)
【メンバー】 A山
3)報告
①10月18日(金)
吉野駅出発8:30→二蔵宿小屋14:14
歩行時間:5時間48分。 歩行距離:12.9km
前日は家でレストとしたので、今日は死ぬほど歩こうと思っていた。
前回、二蔵宿で疲労困憊だったためテント泊したが、今回はそこで水を補給してどこでもテント泊できるかたちで先に進もうと思っていた。
しかし、電車を降りたとたん、がっかりした。
今日の雨は昼からだと思っていたのに、既に降っていたからだ。それも相当。。
気分が上がらぬまま駅でザックにカバーを装着し、歩き始めた。
雨の中、黒門をくぐった。
吉野駅から登山道の開始地点まで舗装道路を標高差で約500m登っていかないといけない。
途中、土産物屋の軒先で煙草をくゆらすおじさんに声をかけられた。
「雨やし、かなんの~」
そうだ。実に「かなん」のだ。本当に「雨はかなん」のだ。
雨具を着ているので、直接に雨には当たらないものの、相当の登りで全身汗だくになってしまった。実はこれが最後まで尾を引くことになる。
金峯神社。
この奥から山道が始まる。
山道の最初の道標も雨にけぶっている。
トカゲにしてはいやに動きが遅いので写真を撮った。
あとで調べたらサンショウウオだった。雨だからのそのそ出てきたに違いない。
二蔵宿の水場。
やっぱり疲れ果てたので前回に引き続き、今夜もここでテント泊だ。
小屋の軒先で雨に当たらないのが誠に魅力的だ。
そして火もたかずに行動食の余りのおにぎりを食べたら、即撃沈。
②10月19日(土)
二蔵宿5:03→稚児泊14:53
歩行時間:9時間50分。 歩行距離:15.7km
昨日は寒くて、水風呂に入っている夢ばかり見ていた。
雨にはたいして濡れていないはずなのに、汗で身体が濡れていた。
防寒着を着てシュラフに入ったものの、熱が奪われるばかりで暖まらなかった。
加えてシュラフにも濡れがしみ移り、それも寒さの原因となった。
それでも朝4時に起きて歩き始める。
朝の二蔵宿の小屋。右の軒先の下にテントを張った。
小屋は9月で閉鎖されている。
五番辻にある女人結界。
洞辻茶屋
雨も相変わらずだし、ガスも出て、おまけに風も吹いてきた。
この囲いから出るのに躊躇してしまった。
山上ケ岳頂上を右にみやって、小笹の宿。
計画では今日はここまでだったので、泊まってしまおうかと悩んだが、まだ元気だし、時間も早かったので進むことにする。今日はもともと頑張る日だから(毎日頑張っているのだが)。
そして止まない雨と、風の中、前回の撤退点である大普賢岳の登りもクリア。
しかし道はこの上なく悪い。
こんなところが山ほど存在する。
しかも岩は濡れているので、滑りやすいことこの上ない。
慎重に慎重を期して通過した。
前回の撤退ポイントを過ぎたところ。
これはジオグラフィカの画面のスクショだが、大峰奥駆道の表記がおかしい。
前回はこれを信じて東に向かってしまった。
この先の日本岳までの道が相当に悪く、降りたところでテントを張った。
翌日全く意気消沈してしまい、そのまま和佐又に向かったというわけだ。
そして稚児泊で沈没。
写真の右側から結構な風が吹いている。
テントのポールを入れる前に、四隅をペグで固定したくらいだ。
そして風に背を向けるかたちで入り口を設置。
③10月20日(土)
稚児泊4:10→狼平避難小屋14:16
歩行時間:10時間05分。 歩行距離:11.7km
昨夜も夢は水風呂だった。加えて体熱を上げようとするのだろうか、お腹が妙に空いている。朝からかなり空腹感を感じていた。
朝、まだ暗い中、七曜岳を過ぎた。
雨と風は相変わらずだ。それでもこのときは頑張って計画を完遂しようとしていた。そのために昨日も頑張って歩いていたのだし、今日も3時に起きたのだから、とずっと思っていた。でも道はひどく悪い。スリッピーな岩場が続く。
行者還岳の下り。
ぱっと見、道はわからないだろうが、こういうところを延々と歩くのでたまらない。
そしてやっとこさ行者還小屋にたどり着いた。
まだまだ時間は早かったが、本当にこの小屋に泊まろうと思った。
ただ、それには水が不足していた。
地図には近くに水場があるとある。それも道の横のはず。
でもここにくるまでそれらしきところはなかった。
小屋に荷物を置いて戻ってみる。でも相当戻っても、それらしきものが見つからないので不安になって小屋に戻ってきた。
スマホはなんとか通じるので、調べたがいまいちわからない。
でも行者還岳に戻らないといけないのは確かなので、もう一回探しに出た。
すると、ふと、黒いパイプが登山道の上のほうを走っているのを見つけた。
そういえば小屋には蛇口付きのシンクがあった。当然水が出ないか確かめたが出ない。
おそらく水源からパイプで引いてきているのだろう。今度はそのパイプを見落とさない
ようにして戻っていった。
そうしたら見つけた。
黒いパイプは途中切れ切れになっていたが、最終的に画像上部の小屋のようなものから出ていた。行者雫水の水場だ。
よく見ると写真下部に「コノ上・・」という文字がある。「この上水場」なんだろう。
最初に通ったときには全く気付かなかった!
なんという不覚!
それでもなんとか水場を見つけたし、なんだかんだ結構休んだので、小屋に泊まることはあっさり諦め先に進むことにした。
それでも小屋を出て、ガスと風の稜線を歩き始めるのは、かなりの覚悟が必要だったが。
理源大師像
この像のところから弥山への300mの登りが始まる。
そういえば今日は土曜日。午後近くになってようやく天気が良くなってきた。
そして、たくさんの人に出会った。
行者還岳までは3人しか会わなかったのに。
弥山の登りは身体に堪えた。
行者雫水でプラティとペットボトルの水を一杯にしたのも誤算だった。
スピードが上がらない。途中行き違ったパーティーには「ボッカのかたですか?」ということも言われてしまった。
そしてやっとこさ、弥山小屋に着いた。
御覧の通りの青空だ。
人もいっぱいいる。そして電波も通じた。
結局ここに2時間近くいた。
今後の方針を決めるためだ。冷えた身体を暖めたいという気持ちもある。
実に悩んだ。
この先も頑張るか、その気力が自分にあるのか。
それとも天気が悪いせいにするか。でもそれは自分に負けただけではないのか。
「ここから先は簡単なエスケープがない」というのが、まるで悪魔のささやきのように頭のなかを駆け巡る。
でも、ふと思った。
「進むかエスケープするか迷っているときは、いつもそこで終わっていた」。
そうだ。進むときはいつも迷わない。いらないことは一切考えず、前に向かって進んできた。
いま、自分が迷っているのは、途中敗退する理由を探しているだけ。と思ったら考えるのが馬鹿らしくなった。
エスケープを決めた。
撤退を決めたら、気楽になったので頂上のお宮を訪ねた。天川奥宮。
バス便がある洞川に下山することにした。
となると今日は狼平までだ。
なんとなく後ろ髪を引かれる思いはあるものの、自分で決めたことだ。
さっさと下山を始めた。
途中で未練がましく八経方面を撮影。
そして到着。
誠にきれいな避難小屋だ。
もちろん中も。
そしてここぞとばかりに、びしょびしょの装備を天日干しした。
テントもシュラフも登山靴も!
④10月21日(日)
狼平避難小屋6:29→洞川バス停10:45
歩行時間:4時間15分。 歩行距離:9.9km
久しぶりにゆっくり寝た。
乾いたシュラフというのはこんなにも快適なものか。忘れていたことが甦った。
どんどん高度を下げ、栃尾辻を過ぎる。
途中主稜線のほうを垣間見ると、ガスが垂れ込み、雲が信じられない速さで飛んでいた。既に天気は悪化しているようだ。心底、突っ込まなくてよかったと思った。
ここまでくればバス停は近い。
ほぼ1時間半、バスを待っている間に、臭う身体をタオルで拭き上げ、下着を着替えた。
そして特急列車に乗り、帰宅。
家ではどうしても食べたかった宅配ピザを、テレビを見ながら食べた。
なんとなく充実した気がした。
そして総歩行時間 29時間58分 総歩行距離 50.2㎞の旅を終えた。